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GMノート 2021.07.27 18:30 (UTC+9) 【ガイド】黒い砂漠ストーリー #1 - 年代記・上編
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黒い砂漠ストーリーガイド - 一気に読む総まとめ 

※ 本ストーリーガイドは海外のサーバーで黒い砂漠を楽しんでいる冒険者様、「ユ・ジェウ」さんの経験を基にご本人がご自身で作成した投稿であり、原作者のご同意を得たうえで原本を翻訳した内容です。

原文:https://www.inven.co.kr/webzine/news/?news=230523&site=black

 

最近、黒い砂漠の開発陣は「没入型ゲーム」と「砂漠IPの確立」を追及しながらメインクエストラインを改編し続け、明確な世界観を確立することに力を入れている。特に最近の開発者ノートでは、「これから追加されるコンテンツは黒い砂漠の世界観を大切にして追加していく」と言うだけあって、黒い砂漠で繰り広げられるストーリーはこれからのパッチにも大きな影響を与える要素だ。

 

しかし、黒い砂漠を実際にプレイしていると疑問が出てくる。「セレンディアはなぜ自治領で、カルフェオンは直轄領なのか?」「闇の精霊はなぜプレイヤーについて回るのか?」「ジョルダインはいったい何者なのか?」等…。特に黒い砂漠はストーリークエストを必ずしも進める必要がない為、次第に膨大になっていくストーリーを理解しないまま成長してしまっているケースも多々見受けられる。

 

今回の黒い砂漠のストーリー整理1編は、そんな冒険者のための最初のステップだ。1編はエリアン暦の基礎で、黒い砂漠の舞台の過去を整理した年代記であり、中でも前半部分に該当する。今後連載される後半部分まで読めば、黒い砂漠の地形や人物、それぞれの国家間の話など、さまざまな疑問を解決することができるだろう。

 

年代記以降では、改編されたメインストーリーをはじめ、興味深い設定の人物や地域などについての話も掘り下げていこうと思う。普段から黒い砂漠の世界観について気になることはあっても直接確認するのは面倒だったり、そこまでの時間がないという方には是非この記事を読んでほしい。

 

 

※ 公式ホームページの歴史、NPCのセリフや知識などを参照して作成しました。

※ 本ストーリー記事はシリーズで連載されます。

 


#1 エリアン暦185年

シェレカンの登場とドラゴン族との大戦
 

本来、シェレカンは強靭な戦士として古代ドリガン(Drieghan)の先住民たちに多くの教えを与えてきた。当時、シェレカンたちの中でも特に優秀だった者たちは後に「チェンガ・シェレカン」と呼ばれたが、彼らの名はアクム、マカールロード、ゲルビッシュ、ドロテと言い、それぞれに知恵、狩り、出産、芸術を守護する存在であった。

 

彼らは人間離れした力を持ったドラゴンを使い、様々な地に建物を建設したが、中でも代表的なのが現在のトシュラ廃墟である。しかし、このように壮大な建物が建てられた背景には、恐ろしい拷問や労働に耐えたドラゴンたちの犠牲があった。そうした中、ドラゴンたちはシェレカンへの報復を夢見るようになる。そして時が経ち、ドラゴンたちは最終的にブラックドラゴンマクタナンを筆頭にシェレカンに反旗を翻した。

 

ドラゴンとシェレカンの戦闘は、ドリガン地域を荒廃させるほど大きな戦争となった。これを別名「大戦」と呼ぶが、大戦の序盤にレッドドラゴンガーモスは大きな傷を負い、人々が足を運ばない野生のオオカミの生息地へと逃げ込んだ。そしてシェレカンが率いるドリガンの部族たちは力と知恵を集めてドラゴンを支配していったが、ブラックドラゴンマクタナンを支配することはできなかった。マクタナンはドリガンの鉄鉱山でたびたび発見された「影の種」、すなわち巨大な高純度の黒結晶を取り込み、強大な力を持つようになったのだ。

 

▲ 傷を負ったレッドドラゴンガーモス

 

シェレカンは強靭な戦士だったが、彼らの肉体では黒結晶の力が宿ったドラゴンたちの暴走を止めることはできなかった。結局、彼らはドラゴンたちが力を得たように、黒結晶から力を借りようと考えた。純度の高い黒結晶を摂った肉体は、想像を絶する力を発揮した。彼らの一撃は大地を切り裂き、痛みを忘れ、疲れることがなかった。そうしてシェレカン一族とブラックドラゴンマクタナンは、互いに体がボロボロになるまで死闘を繰り広げ、最終的にはブラックドラゴンが撤退することで大戦は幕を閉じた。

 

しかし、この大戦によりシェレカンが払うことになった代償もまた大きかった。ブラックドラゴンマクタナンの血が降り注いだトシュラ地域は呪われた地となって廃墟と化し、当時シェレカンは別名「ドラゴンの呪い」にかかったと伝えられた。この呪いは、精神はまともな状態であるのに肌が割れ、全身が徐々に石のように固まっていき、自ら命が失われていく様子を見届けなければならないという残忍な呪いだった。また、彼らが定着した土地には必ずひどい干ばつが起こり、皆が水一滴を欲しがりながら死んでいった。

 

そうしてシェレカンの戦士たちが次々と死を迎えていく中、ドラゴンを直接殺したシェレカン最後の生存者アクムは、息を引き取る寸前、ドラゴンの歯を跡継ぎに渡し、これを地に埋めて、祝福の雨が降る地に定着するように告げた。こうしてドラゴンの呪いによって死んでいった先祖の遺志を叶えようと、跡継ぎは長い放浪生活を始めることになった。

 

▲ 忘れられた関所から眺めたトシュラ廃墟

 

▲ ドラゴンを殺したチェンガ・シェレカン、アクムの墓

 


エリアン暦226年

ドベンクルンの誕生とシェレカンの末裔

 

 

約40年にわたる長い放浪生活の果てに、空から雨が降り注いだ。アクムが言う祝福の雨だった。40年振りに降る雨は、渇ききったドリガンの渓谷に枯れることのない滝と湖を作り出し、ドラゴンの歯が眠る地「ドベンクルン」が誕生した。

 

長い放浪生活に疲れ果てたシェレカンの末裔たちはついに安息の地を見つけたが、彼らの体は以前とは違い小さく衰えていた。彼らに降りかかった災いは干ばつだけではなかったのだ。本来、シェレカンはジャイアントよりも巨大な体と力を持っていたが、子孫たちは体が次第に小さくなっていき、その力を失っていた。しかし、そのような問題も、ついに定着できるのだという喜びに比べれば大したことではなかった。

 

▲ シェレカンの末裔が定着した村、ドベンクルン

 


エリアン暦233~234年

バレンシア国王イムル・ネセルのアクマン虐殺と黒い死の登場

 

 

バレンシア(Valencia)、ネセル王族の国王イムル・ネセルは、黒い砂漠の歴史に名を残した人物だ。彼は野心家で、全大陸を武力で支配したいと考えていた。しかし、それが思い通りにいかなかったため、黒い力を利用して大砂漠をさすらう巨大な古代人を利用しようとまでしていた。

 

一方、バレンシア建国以前から存在してきたアクマン部族は、自らを「古代文明の守護者」と称し、そのどこにも属していなかった。アクマン部族は、国王イムル・ネセルが黒い力を利用しようとするたびにいつも妨害し、バレンシア砂漠にある「石室」と「古代の遺物」を間に置き、摩擦を起こしてきた。

 

これに対しイムル・ネセルは、まずアクマン部族を糾合するべきだと考え、最初はアクマン部族を懐柔しようと数度に渡り和親をはかった。しかし、ことごとく拒絶されたことにより忍耐力のないイムル王は憤慨し、自分の軍隊をアクマンの領域に送った。

 

しかしそれは、攻撃などという生易しいものではなく、一方的な虐殺だった。王の軍隊はアクマン部族を悽惨に倒した。アクマンが自ら屈服することはなかったが、自らの姿を隠さざるを得ない状況に追い込まれた。アクマンが姿を隠すと、程なくして黒い死(Black Death)と呼ばれる惨憺たる災いが起こった。黒い死は肉が黒く腐り死に至る悲惨な病気で、イムル王も愛する王妃をこの病気で亡くしてしまった。このことで人々は、アクマン部族を虐殺したイムル王が神の怒りを買ったのだと噂した。

 

▲ 現在は、イムル王の子孫であるシャハザード・ネセルがバレンシアを統治している。

 

▲ かつて虐殺の対象であったアクマン群れの暗黙のリーダー、アトサ

 


エリアン暦235年

西大陸に広がる黒い死、その中でお金の流れを読んだ商人ネルダ・シェン

 

 

こうして始まった黒い死は、砂漠を越えて西大陸を行き来する商団からカルフェオン、ケプラン、ハイデル、オルビアまで広がっていき、西大陸の人口の大半に及ぶ命を容赦なく奪っていった。人々は互いを警戒し、往来することを止めた。そして病気にかかった疑いのある人々は皆、城の外へと追い出された。

 

我が子までも見捨てなければならない悲惨な病気の前では、身分の高い王族や司祭たちも無力であった。スラム街に追い出された彼らも病魔によって命を落とし、その所有物の全てと共に灰となった。黒い死は時が経ち何事もなかったかのように姿を消したが、これを経験した下層民は動揺した。

 

下層民たちは、高貴な王族たちにも結局は自分たちと同じ血が流れていることを悟り、災いを止めてほしいという切なる祈りにも彼らが信じていた神「エリアン」は答えてくれないのだと思い知った。そして生き残った各国の貴族たちは身分秩序がいつ崩壊してもおかしくないことに焦りを覚え、カルフェオンに集まってバレンシアを「公共の敵」に仕立て上げると、何とか秩序を維持しようと必死になった。

 

これにエリアン教の司祭たちが立ち上がり、異教徒であるバレンシアが黒結晶を錬金魔法の石として災いをもたらしたのだと扇動した。彼らはバレンシアのイムル・ネセル国王を悪魔だと名指しして非難した。また西大陸の王たちは、災いを止めるため黒結晶が採れる黒い砂漠を占領しなければならないとその扇動に加担し、労働の価値を理解し始めた下層民たちに対して以前にはなかった待遇を約束した。こうして西大陸の国家間で連合が形成され、バレンシアとの長い戦争に突入することになった。

 

▲ カルフェオンはエリアン教を国教としている。教会の中央に位置する、大司祭レハード・メルテナン。

 

▲ 一方、格差が感じられるスラム街の疲れきった下層民の様子

 

一方で当時、西大陸国家とバレンシアの間にあったメディア王国は、無能で消極的な王バリーズ2世が治めていた。カルフェオンはバリーズ2世に対し西大陸連合に参加するよう勧めたが、バリーズ2世は戦争に参加する意思がないことを表明した。その代わり、カルフェオンがバレンシアへ向かう道を開拓してやると、バレンシアには仕方ないとでも言うように首を振った。

 

こうした雰囲気の中、錬金術師でありメディア商人連合をまとめていたネルダ・シェンは、大きな利益を手にするチャンスだと考えた。彼は腕利きの鍛冶屋を集めてカルフェオンに取引を持ち掛けた。それは、メディア商人会がカルフェオン連合に戦争物資を支援する代わりに、カルフェオンは物資の生産に必要な黒結晶をメディア商人会に渡すという内容だった。当時、黒結晶の価値をよく知らなかったカルフェオンは、この取引をあっさり受け入れた。

 

シェン商団はメディア溶岩洞窟の地形を利用し、自然の溶鉱炉として使用していた。洞窟内の平坦で小さな火口を使って鉄と黒結晶を溶かし、カルフェオンより速いペースで武器を作った。そうして作られた物資をカルフェオンに運ぶと、必ずその分の黒結晶が返ってきた。その頃、それを知ったバレンシア外交使節団は、密かにメディア商人会のもとを訪れた。メディア商人会はカルフェオンから受け取った報酬の一部をバレンシアに支給し、バレンシアはメディア商人会に交易権と保護を約束した。

 

メディアの加工技術が徐々に発達してくると、カルフェオンはどこか騙されているような気分になり、自分たちが捧げるかのように渡していた黒結晶を再び買い戻そうとし始めた。しかし、当然のことながら取引は決裂した。本来、自由宗教であったメディアが当時のバレンシアの神アールに仕え始めたのは、事実上バレンシアとの外交を宣言するものだった。

 

▲ カルフェオンとバレンシアの間で大きな取引を勝ち取ったネルダ・シェン

 


エリアン暦235年

歴史の中で自然に姿を消したカーマスリビアとドリガン

 

 

こうして黒い死から始まった西大陸とバレンシアの葛藤が深刻化する頃、妖精の地カーマスリビアにも危機が訪れた。本来カーマスリビアは、歴史が記録される前、太初の時代から存在していた。森の最も高い場所に神木が根を張っており、そこに女神シルビアが自然精霊たちと一緒に降りてきたため、その木にカーマスリブという名前が付けられた。そして彼女は、太陽のオーラを受けたガネルと月のオーラを受けたベディルを誕生させ、森の緑とトゥースフェアリーから祝福を受けた。

 

ところが、こうして長きにわたり豊穣を享受してきたカーマスリビア大陸の山や森、草原に暗黒の精霊が定着し始めた。時が経つにつれ、徐々に犠牲が増え始め、シルビアの子孫たちはひたすら女神が残した神木カーマスリブの力に頼ることで何とか持ちこたえていた。終わらない災いに頭を悩ませた子孫たちは、災いを止めてほしいと女神に祈りを捧げたが、答えは何も得られなかった。

 

さらにこの時、未来を占う森のトリードは、間もなく首都が灰に浸食されるだろうと予言した。この予言を受けたベディルはついに決断を下した。彼らは暗黒の精霊を超える力は唯一の神木のカーマスリブしかないと考えた。そこで彼らは最後の方法で神木カーマスリブを燃やし、発生した強大な生命の力を利用した。この方法でカーマスリビアから暗黒の精霊を追い払うことに成功したが、カーマスリブは無事ではなかった。全ての森の栄養素であり生命を生み出した大自然の母であるカーマスリブが消滅したという喪失感は、子孫たちにとって計り知れないものだった。こうした悲しい静寂の中、カーマスリブが再び目を覚ますだろうという慰めが込められた森の歌は、いつまでも鳴り止むことはなかった。

 

これ以上女神の力を借りることができないという事実は、子孫たちに大きな不安を与えていた。カーマスリブが消えた今、再び同じような危機が迫ったとき、さらに大きな災いが起こるはずだからだ。危機を感じたカーマスリブの子孫たちは、カーマスリブの枝に精霊の力を加えて精霊剣を生み出し、使いこなす方法を身につけていった。そして、弓と剣のように使用するレンジャー常備軍と、彼らの聖域自体を守るアーチェル近衛隊を作り上げた。アーチェル近衛隊は首都グラナを掌握し、カーマスリビアの国境と全ての関所を閉じた。それ以降、カーマスリビアはいかなる外部の者も受け入れなくなった。

 

▲ カーマスリビアの神木、カーマスリブ

 

▲ カーマスリビアの王宮前でアーチェル近衛隊代表とレンジャー軍事代表が話をしている。

 

一方、ドベンクルンに定着していたドリガンの末裔たちは、ドリガンの地を5つの領域に分け、ドラゴンの頭の位置にシェレカンの墓を建てた。シェレカンの墓は彼らにとって単純な遺跡や墓以上の意味を持っており、誇りを何よりも大切にしていたシェレカンの遺志を継ぎ、年に三回ずつその栄光を称える日を作った。

 

しかし、首都ドベンクルンを含むドリガン一帯は、未だ周辺国にとってドラゴンの地という認識が強く、その認識自体が自然とドリガンにはむやみに近づいてはならないという城壁となった。また、長きにわたった干ばつのせいでドリガンは草一つ生えない不毛な地だという噂も、外部からドリガンの地に足を踏み入れにくい要因となった。このように首都ドベンクルンの存在は周辺諸国から忘れられることになり、その存在が再び知られることになるのは、しばらく後のことである。

 

こうしてカーマスリビアとドリガンは長い間、外部と交流せず、彼らだけの土地を守りながら暮らすことになる。

 

▲ ドベンクルンに定着した子孫たちは、巨大なシェレカンの墓を建てた。

 


エリアン暦236~266年

カルフェオン西大陸連合とバレンシアの30年戦争

 

 

カルフェオンを中心とした西大陸連合とバレンシアの戦争が本格的に始まった。ところが、自信満々だったカルフェオン遠征隊は想像より厳しい戦いを強いられることになった。バレンシアは広大な砂漠に建てられた都市であり、カルフェオン遠征隊がようやく砂漠を越えると、待ち構えていたかのように武装したバレンシア軍が立ちはだかっていた。国王のために存在する勇ましいバレンシア軍と、砂漠に慣れていない集結したばかりの西大陸連合の戦いは、戦う前からどちらに分があるか明白だった。

 

当時、カルフェオンの王であったダハード・セリックの意地で戦争は長引くことになったが、すでに敗戦が続いていたせいで西大陸遠征隊は疲弊しきっていた。そうして時が過ぎ、エリアン暦265年、37歳でハイデル王家を継承したクルシオ・ドモンガット王は、父王とは異なり、エリアンのしもべとなることなく、カルフェオン王ダハード・セリックが自分を新参者扱いすることも不満に思っていた。

 

クルシオ王はカルフェオンにこれ以上遠征はないだろうと通告したが、カルフェオンのエリアン教司祭は自分の言うことを聞かないハイデル王のせいでもどかしい思いをしていた。ただでさえ以前行なった無理な扇動によりエリアン教から人々の心が離れている中、急に遠征が中断されては教団の権威が危うくなるからだ。

 

▲ 30年戦争当時、ハイデルの王だったクルシオ・ドモンガット

 

エリアン教の司祭たちが言うように、黒い死はバレンシアが作り出した魔法のようなものではなかった。遠征に向かう道中で目にした道端に横たわるバレンシア人たちの黒く腐った死体は、黒い死がバレンシアにも被害を与えたことを証明していた。このため人々は、エリアン教がこれまで保ってきた地位も単純に運だったのだと考え始めた。

 

さらに、最初は災いを持ち込んだ悪魔と非難されていたバレンシア王イムル・ネセルは、むしろ西大陸連合を嘲弄した英雄だとカルフェオンのピエロたちの間で話題に上っていた。西大陸連合はこれまで数回にわたりバレンシアに遠征向かったが、バレンシア城の様子を見ることすらできなかったからである。特にバレンシア内部で何度も反逆があったにもかかわらずだ。

 

しかし、このような状況下でも、エリアン教は遠征を諦めることはなかった。これまで遠征隊が通った道にはエリアンの礼拝堂が建てられ、このままうまくいけば遠いバレンシアまでエリオン教を布教できるからだった。その戦争の名分は今、これまでの長い戦いで出た多くの犠牲に対する「復讐」へと変貌を遂げた。

 

エリアン教の司祭たちは遠征を拒否したハイデル王クルシオに破門を警告する一方、カルフェオン王ダハードをけしかけ、クルシオに圧力をかけた。これでクルシオは、頭を抱えるしかなくなった。この摩擦により、カルフェオンとの戦争が難しくなったからだ。そして、依然としてハイデル軍部には父王に従っていたエリアン信者が多かった。こうして二つの国家間で数回の密使が行き来した末、結局クルシオは再び遠征に乗り出すことにした。

 

このような決定を下した理由は、当時のハイデル王クルシオが王位を継承して間もなかったため、内外の課題を乗り越えるだけの自信がなかったからであった。また、密使を介して送った「最後の遠征」という妥協点をカルフェオン王ダハードが受け入れたため、本当にこれで最後だという思いで遠征を受諾した。代わりにダハードは後代に笑い者にされないためにはバレンシアの城を一度は見るべきではないのかと、大規模な遠征を提案した。こうして西大陸連合の最後の遠征隊がまとまるまでに2年の月日を要することとなった。

 

▲ 西大陸カルフェオン、セレンディア(ハイデル)とバレンシアの位置

 

▲ 西大陸連合がバレンシアに行くため、越えなくてはならなかった果てしない砂漠。このため征服が難しかった。

 

ところが、今回の遠征は、不思議なほど天気に恵まれなかった。遠征初期から吹き始めた風は、カルフェオン遠征隊がメディアに近付くと、前が見えなくなるほどの砂嵐に変わっていた。しかし砂漠はまだまだ終わりが見えず、連合は見知らぬ城壁の下に兵舎を設け、風が収まるのを待った。そうして一週間が過ぎると、ようやくメディアの景色が目に入ってきた。

 

ところが、何があったのか、メディアの様子は一変していた。兵舎が設けられていた城壁は低く都市全体を囲み、あちこちの煙突から黒い煙が絶え間なく上がっていた。大陸の中央に位置するため西大陸連合とバレンシア間で取引をしてきたメディアは、大きな成長を遂げていたのである。メディアはカルフェオンから黒結晶を手に入れると戦争物資に充て富を築き、最初に刀から始まった武器はまもなく銃、そして大砲へと変わり、鉄鉱が大きく発展した。また、バレンシアも砂漠の寒い夜を耐えて調理をするのに黒結晶が必要だったため、メディアと取引をしていたのだった。

 

当時、カルフェオンはメディアの言うことだけを聞いて黒結晶がただ鉄を溶かし火薬を作る程度の物だと思っていた。そのため、メディアを介して遠征費用を一部充当できると考え、黒い砂漠の黒結晶を乗せて運んでいた。また、バレンシアも黒結晶を一種の燃料として利用するためメディアと取引をしてきた。結局、これは当時のカルフェオンとバレンシアが黒結晶の価値を知らなかったから可能なことだったと言える。とにかく、安価で黒結晶が集まる間にメディアには都市が生まれ、人々が集まった。そしてメディアの都市には、線を描いたかのような城壁が一列ずつ張り巡らされていた。

 

▲ メディアは戦争物資を充て少しずつ成長していった。

 

カルフェオン遠征隊は大きく成長したメディアの姿を見て疑問に思ったが、早くしなければ補給に支障が出るため先を急ぐことにした。ところが、遠征隊の長い列が黒い砂漠に入る頃、砂風が再び起こった。今度は雨粒も混じっていた。砂漠で雨粒とは、どこか不吉な予感がよぎった。

 

その時だった。誰かがバレンシア陣営の赤い旗を見たと叫んだ。それは連合が黒い砂漠に入ったことを意味し、もう少し進めばバレンシア軍隊に出くわすという意味だった。従軍していたエリアン司祭たちは天に向かって祈り始めた。その間に連合は戦いに向けて兵舎と陣営を設け、前進した。

 

ところがしばらくすると、昼間であるにもかかわらず辺りがまるで夜のように暗くなり、嵐に襲われた。巨大な砂嵐が吹き、砂のくぼみでハイデル王クルシオが目を覚ました頃、すでにダハードはその姿を消していた。赤い旗があちこちに転がっているところを見ると、バレンシア軍の被害はさらに大きかったのだろう。

 

生き残ることが優先だと判断した遠征隊は、遠征を諦めて引き上げることにした。砂嵐と地盤沈下が続き、デミ川の下流に至っては海のように広がった川の水が道を防いでいた。ひと月ひたすら待った後、デミ川の下流にできた巨大な三角州を渡ると、ようやくクルシオ王は我に返った。今回の遠征は失敗だった。

 

西大陸遠征の最後は、このように幕を閉じることとなった。しかし、カルフェオンの教団は兵士たちの口を塞ぐかのように大きく賞した。そしてバレンシアが立ち上がれないほどの大きな勝利を収めたと喜んだ。どんな理由にせよ、災害の心配が大きい状況においては必要な慰めでもあった。ハイデル城まで広がるセレンディア平原は幸いなことに、災害の影響は大きくないようだった。しかし、南側の地盤は崩れ、湿地が増えた。人間が終わらせることのできなかった戦争を自然が終わらせると、戦争の傷跡を癒す間に平和が訪れた。ダハード王を失ったカルフェオンは、20歳を超えたばかりのガイ・セリックが王位を継いだ。

 

▲ セレンディア南側の地盤が崩れ、このような湿地ができた。

 

▲ 比較的災害の被害が大きくなかったセレンディア平原。遠くに農家も見える。

 

一方、バレンシアでもこのように軍隊を飲み込むほどの巨大な砂嵐は前例がなかった。カルフェオンは数万の遠征隊を失い、これ以上砂漠には足を踏み入れることができなかった。こうして戦争は自然の摂理によって終わりを迎えた。砂の上に飛び散った血痕も、戦争の残酷さも、全て砂漠が収めたかのように鎮まった。

 

イムル王は犠牲になった兵士を称えるために戦争が起きた場所を「紅の砂漠」と呼び、戦争を勝利に導いたアール神に感謝を捧げた。すると王が残した言葉はすぐにバレンシアの指針になった。「砂漠はアールの領域、オアシスはアールの清涼、黒い石はアールの豊穣だ」。

 

しかし、黒い死と長い戦争、そして疎かになった内政のせいで相次ぐ反乱が起きた。疲れきった王の健康が危ぶまれた頃、バレンシア王国の象徴である黄金鍵を受け継いだトルメ・ネセルが新たに王位に就いた。バレンシアの歴史上、最高齢で王位を受け継いだトルメには、既に三人の息子と一人の娘がいた。

 


エリアン暦266~267年

相次ぐ自然災害が原因で地形が変化し、様々な野蛮族たちの移住が始まる

 

 

当時、仲介貿易で勢いに乗っていたメディアも、大自然の前では為す術がなかった。相次ぐ台風と干ばつが高原地帯と砂漠を越えて部落を形成していた野蛮族の足取りを早め、野蛮族の一部は比較的被害が少なかったメディアに定着し始めた。また、武器を製作していたメディア溶岩洞窟と鉄鉱山が相次ぐ野蛮族の攻撃などにより閉鎖された。

 

西大陸連合とバレンシア軍を巻き込んだ砂嵐は、災いの始まりに過ぎなかった。エリアン暦267年、遠征隊を埋めた砂嵐は砂漠の集落を壊滅させ、津波が海辺の町や停泊する船の全てを飲み込んだ。高原地帯は豪雨で土地が壊滅し、台風は地図を変えてしまった。砂漠を越え、熱帯地域でも干ばつにより地割れが起きた。相次ぐ災害は、世界を変えていった。

 

フォガンはナーガを追い出し、セレンディアの沼地に定着した。オークとオーガの大移動もあった。メディア南部にはさまざまな野蛮族が集まって村を作った。遠征隊の没落で防備が手薄になっている隙に、基盤を失ったほぼ全ての野蛮族が被害の少ない内陸に集まった。

 

するとすぐに略奪が相次いだ。連絡路も断たれ、混乱が大きくなった。人との交流がなかった種族たちが入り乱れながら、長きにわたり棲み分けができていた生活の領域は、思いがけなく崩れてしまった。交流がなかった長い時間は、人間と野蛮族の対話を困難にした。しかし、例え言葉が通じたとしても、生き延びることよりも正当な理由と立場を示すことができただろうか?人間と野蛮族は再び一つの地に溶け込み、連合も遠征も、過ぎた過去の出来事となった。

 

▲ メディアの鉄鉱山は大災害後にやってきたサウニール、クルト族などに占領された。

 

▲ アルティノ都市の片隅には得体の知れない野蛮族の駐屯軍が陣取っている。

 

 

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